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11.09.08【81/730】若者のすべて

お昼休み、買い物へ出たところで、一台の車に呼び止められた。中を覗くと、そこには昨日知り合った学生のJudahとその仲間がいた。「夜に遊びに行っていい?」と聞かれたので、「うん」と軽く返事をしてその場は分かれた。

そして夕方、一人バーでビールを飲んでるとセキュリティの人から、「君の友達らしい人が来てるぞ」と言われる。正直全然覚えてなく、言われるがまま門へ向かうと、そこに酔っぱらった彼らが「おばー」と叫びながら立っていた。

内心、「あちゃー」と思っていたのだが、引き下がる感じもなかったので、一緒に中で飲むことに。「今日は俺が出すよ~」なんて言われ、日本でいう未成年にお酒を奢られる自分。ちょっと微妙な心境になりつつ、飲んで話をした。

Judahは18歳でForm6の学生。今年の12月の試験に受かれば、Form7に進学し、大学への道が開ける。そんな彼も今は木材の仕事をし、酒とたばこと女の子に無我夢中といった様子で、「大丈夫かな?」と思う所がなかったわけではない。

下ネタと女の子の話に目を輝かす。洋楽がかかると、歌詞をちゃんと覚えていて歌いだす。fuckとかshitとか汚い言葉をたくさん使っている。そして、何度も「俺はアメリカか日本に絶対行ってやるんだ。」と漏らす。

そんな姿を見ていたら、ふと自分の高校時代のことを思い出した。もちろん酒もたばこもしてないし、女の子にも縁がなかった(涙)けど、背伸びをして、カッコいいものに憧れている姿に、どこか共感をしてしまった自分がいた。

多分、人間ってそこまで変わらないんだと、こっちにきて心から思えるようになってきた気がする。初めは、日本人だからという思いがあったけど、○○人ていう括りにそんなに意味がないように思えてきたのだ。

何人であろうと、会い対せば一人の「ヒト」なわけで、そこに「○○人」というラベルを張ってみたところで、見える景色は変わらない。むしろ、そのラベルが邪魔をしてその人の姿をちゃんと見れなくなっちゃうんじゃなかろうか。

とりわけ日本は愛国心とか国家の品格とか言って、国という括りを大事にしてる気がする。確かに故郷、ホームを大事にすることは大切だし、それが自分のアイデンティティの一部であることは否定できない。

でも、それが人と接するときにどれほどの意味を持つのか。自分にとっての国という枠組みの重みが相手にそのまま当てはまるわけではないと考えていないと、その人自身をみれなくなってしまう気がする。

どこから来たって、どこに住んでたって、どんな血を引いてたって、同じ人間。それ以上でも以下でもない。きっとそれが全てなんだ。
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Author:OBA
2011年6月より2年間、青年海外協力隊としてソロモン諸島で活動しています。

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