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脱原発に思うこと

5月5日、北海道の泊原発3号機の停止に伴ない、日本にある原発のすべてが停止しました。

「現場」である日本にいない自分がそれについてあーだこーだいうのもちょっと気が引けますが、ネットでも原発擁護や脱原発といった単語が飛び交っているのでちょっと思ったことを言ってみます。

まず、個人的には原発はなくす方向に賛成です。

別に経済的な視点とか、科学的な根拠とかそんなものは一切ありません。でも、だからと言って、

「原発は危険だからなくすべきだ。」

という感情的な面だけで言ってるわけでもありません。

私は原発問題の根底にあるのは、原発の是非ではなく「自分はこれからどう生きていきたいか」という価値観とか人の在り方の問題だと思っています。言い換えれば、

 これまでのようにお金をじゃんじゃん稼いでモノに
 囲まれた「経済的」豊かさを追い求めていくか。

 それとも自然に即し、シンプルだけど内面的に充実した
 「精神的」豊かさを追い求めていくか。

という生き方のどちらを選ぶかということが、原発の賛成や反対の背後にあるのではなかろうか。

日本には原発が絶対に必要と申す方々がたくさんいますが、確かに言っていることは筋が通っていると思います。

でも、それは今もしくはそれ以上の電気量を使うことが前提で議論がされています。その前提は日本がこれまでと同様、経済成長を軸とした発展を今後も進むという前提です。

ニュースとかネットの記事を見ていても、原発を動かせ動かせ言っているのは企業や経済界のお偉いさん、あとは経済評論家などが多い様な気がします。

一方、原発に反対する人はそもそもそんなに電気を使う生活自体に疑問を持っているんじゃないだろうか。少なくとも、今の自分はその立場に立っています。

ソロモンで生活してみて、そしてこっちの人々の生活を見てみて、日本みたいに電気を使わなくても十分豊かに生きていけると改めて実感したという感じです。

一応普こっちでも電気を使って生活をしていますが、それでも日本に比べれば使っている電化製品は格段に少なくて、三種の神器なんて冷蔵庫しかないし。

つまり、表面的に「原発はありかなしか」という議論をしていても、埒が明かないように思うのです。なぜならその根底にある価値観や在り方自体が違う、論理の前提が違っているから。

別にどっちが正しいとか悪いとかないと思います。ただ目指す方向がそもそも違うのに、ツールの是非とか有無を話し合っても、そもそもかみ合わないんじゃないかなというのが正直な思いです。

うーん、どうしたらいいんでしょうかね。

日本を「経済特区」と「非電化特区」に分けてみるのはどうでしょう?経済特区にはお金儲けしたい企業が集まって、そこに原発を作って。んで、いわゆるロハス的な生活をしたい人はそこから離れたところで自然に囲まれた暮らしをする。

ちょっと非現実的かもしれませんが、でも今後道州制や地方への復権が進めば、「うちの県は原発をどんどん作って電気代をうんと下げるから、企業のみなさんうちに来て!」とか、「うちは原発を全体に作らないから、脱原発のみんなうちに住みましょう!」みたいな県都道府県PRがはじまるかもしれませんね。
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食べる




「いのちの食べかた」という映画を観ました。正確に言うと二回目なんだけど、前回は映画館で爆睡してしまい…ちゃんと観るのは今回が初めて。

感想。

ソロモンで屠殺も見ていたから気持ち悪いとかそういう感情はなかったけど、「ああ、人間って残酷なんだな」って自分の罪というか
人間の生の残酷さを思い知らされた感じです。

ショックだったのは生まれたばかりのヒヨコがベルトコンベアーでどんどんと運ばれていくところ。ああ、僕らは命を「製造」して「処理」しているんだな、というのが明確に示されてたから。

動物と人間の違うところ、それは動物は自然の成り行きの中で命を食べているけど、人は食べるために命を作って消費しているところ。それも、自然の処理範囲を大きく超えるであろう規模で。

はじめから「殺す」目的でいのちを作り出している。

それでいて、年間2200万トンも食べ物を捨てている。もはやいのちの浪費。「もったいない」を褒められた日本が、実は一番もったいないことをしている現実。

そしてもう一つ思ったこと、それは自分の「食べる」という行為に対する無関心さ。

普段当たり前に食べているコメもお肉も野菜も、どうやって作られてどうやって運ばれて、どうやって食卓に並ぶかをちゃんと知らないでここまで生きてきたけど、それってすごいことだったなって。

だって、よくよく考えたら「食べる」ってすごい行為だと思うんです。異物を体の中に入れるんです。

だから目の前のものを食べるってことは、本来それに対してものすごい信頼がなければ行えないことなんじゃなかろうか。

そんなこと気にしてたら、何も食べれなくなるよ。

どこかからそんな声が聞こえてきそう。でも、それは違うんじゃなかろうか。だって、そう言って盲目なことを肯定しているから、いつまでたっても状況は変わらないし、しまいにゃ貼られたラベルに惑わされて、偽装だなんだって騒ぐ羽目になる。

みんながちゃんと気にして、発言・行動するようになれば自体は変わってくと思うんです。

さて、言いたいことを色々並べてみたけれど、とりあえず食べるという人間にとって最も大切な営みの一つに対して、どれだけ無頓着に生きてきたかを思い知らせてくれる、そんな映画です。

ご興味のある方は是非。

通勤路にて。


今朝の出来事。

職場へ向かってテクテク歩いていると、横を通ったトラックが勢いよく水たまりに突っ込み、頭から水を浴びました。

フ●ーーーーーーーーーーック!!!!

…すみません、取り乱しました。

ついてないなぁ、と思いながらタオルで顔を拭きながら歩いていると、道の向かいの店から「スーッ、スーッ」と呼ぶ音が。

ちなみにソロモンでは、人の注意を引くときに「スーッ(英語のsの音に近い)」と言います。聞いたところによると、メラネシアの文化みたい。

振り返ると、若い男が座ってる。そして目が合うや否や、

「おいワクー(「wak」中華鍋が転じて中国人の蔑称)、前を通ってあいさつしないなんてお前はおかしいのか!」

と言ってくる。

フ●ーーーーーーーーーーック!!!!
フ●ーーーーーーーーーーック!!!!
フ●ーーーーーーーーーーック!!!!

…すみません、また取り乱しました。

いやいや、顔拭いてるの見ればわかるでしょ。
単に見えなかっただけだし、別に無視してるわけじゃないし。

ていうか、そもそも中国人じゃねえし!!

カチーンときて、無視して歩いていくと「うわ、こいつシカトだぜ」的なことを言って、さらにワクーの連発。

朝から最高に気分を害されました。

通りすがりに人に挨拶したら無視された、とする(今回は相手から挨拶もされてないけど)。確かに良い気分ではない。でも、そのことに対して相手を非難しようとか、自分は思わないのです。

だって、もしかしたらその人は恋人とうまくいってなくて他のことが何も目に入らないのかもしれないし、なにかイライラしてて挨拶したくない気分だったのかもしれないし。

自分だってそういうことがある。あるかもしれない。だから、他の人にもそういう可能性があるって思うし、自分が常に誰かに対して気持ちよく接することができないかもしれないのだから、相手にそれを求めるのは違うように思うんです。

だから他人にイライラしたり非難するくらいなら、それを自分に向けた方が良いんじゃなかろうか。

自分に焦点を当てれば、少なくともどこか改善点は見つかるわけで、自分なら変えられるわけですよね。他人を変えるのは難しいけど。そうしていけば自分もアップデート出来て、さらに人に対してイライラもしなくなるし、良いことだらけじゃないか!と。

歩きながらこんなことを悶々と考えて、「だから俺だったらあいつみたいに、挨拶しろとか言わんし」とか思っていました。

…ん、待てよ。

そう言ってる時点で相手に文句言ってるし、自分を顧みてないじゃないか!

...orz

もっと精進しなくてはと思った朝でした。

「伝えたい」の出所

前回告知したWORLD REPORTERが公開されました。
http://worldreporter.jica.go.jp/j23-1ooba/

お外向きのソロモンのことはこっちで更新してくので、
こっちのブログはもっとフランクかついろんな話題を
盛り込んでいきたいと思います。とにかく何か発信しよう。

まあ引き受けといて言うのも何なんですが、もともと文章を書くのは苦手なんです。

昔っから国語は大嫌いだったし、日記も続いたことがない。
本もずーっと読む癖がなくて、社会人になってようやく
本を手に取りはじめたくらい。大学受験のときなんか、あまりに
現代文が解けなくて、むきーとなり、母親になだめられたほど。

でも、何だろう。衝動というか欲求というか、「書きたい」
「伝えたい」って思いは心の中にあるんですね。それも
単なる日常の出来事とかじゃなくて、思った事とか感じた事を。

そういうのに気づきはじめたのは大学生になってから。ちょうど
その頃から外側の自分と内側の自分を意識するようになって、
自分同士の関わり合いをへていくうちに、

「ああ、自分てこう人と接したいんだ」
「こんな風に自分を見せたいんだ」
「こんなことを誰かに伝えたいんだ」

っていうことを実感してきたのです。それから、mixiで日記も
書くようになったし、人の前でも自分の考えを言うように
なったなぁ、と。

他人との付き合い方って、どこか自分の付き合い方と似てて、
自分を大切にできる人は他人も大切にできるような気がするんです。
だから、どれだけ自分に意識を向けられるかが、人との関わり方を決めてくんじゃないかなぁ。

さて、何が言いたいかよく分からなくなってきたけど、
きっと、「何かを伝えたい」衝動は自分と向き合えてないと
起きないし、他人との関わりを持ちたいと思わないと
やっぱり起きないもんなんですね。自分の中で。

だからこの衝動を大切にして、下手でも苦手でも綴って
いきますので、ここもWORLD REPORTERも宜しくお願いします。

・・・結局、宣伝で終わってしまったorz

【236/720】ヘムヘムヘム

気づけば三か月近く放置していました。
お久しぶりです。

ちゃんと情報発信していくと言って始めたブログなのに、
これじゃいかん。年も変わったので気持ち新たに再会して
いきたいと思います。

ちなみに題名の意味は、Hemというピジン語でitのこと。
これで、「うんうん」と「あー」みたいな感じになります。


というわけで、あけましておめでとうございます。
ってもう2月だけど。

ソロモンへ来て早七か月。
いろんなことがあったような、なかったような。

暮らしてみて、振り返ると早いなと思います。
あと1年半近くいると思うと長いなと思うんですけどね。
きっと終わってみるとあっという間なんでしょう。

そんな感じで毎日楽しく生きています。

でもイライラしないと言ったら嘘になるかな。
やっぱり慣れないモノもあるし、ストレスだって溜まる。

特に相手(ソロモン人)が何考えているか分からない。
ソロモン人は相手のことも何も考えてないんじゃないかって思いたくなる。

こんな風に自分の中で一般化をはじめると、
それはちょっと黄色信号なのです。

日本人とかソロモン人とかA型とか○○県人とか、
そういう括りで人を見るようになるってことは、
何らかのバイアスを持って人を見てる証拠だから。

こういうとき、いっそ考えるのをやめてしまって、
本能的に振る舞ってぐっちゃーってしちゃえば
良いんじゃないかと思ったりもします。

どんなに気を配ってみても空回りに終わるなら、
もう考えないで気にしないでいてしまえ!と。

そんな風に考えてて、ふと大学時代にmixiで
書いた日記を読み返してみたんですね。

読んでるうちに当時はこんなこと考えてたんだな、と思って。
いや、自分で言うのもなんだけどなかなか良いこと言ってんじゃん、と(笑)

今思えばもっとこんなこと出来たろうにって思ったりもするけど、
当時も今思ってもあの頃は「よく生きれてた」と思うから、
やっぱり考えることを止めちゃいかん。
昔の偉人も「人間は考える葦」とか言ってたもんね。

というわけで、悩んでいるように見せかけて至って快調です。


さて、愚痴ばっかでは何なのでちょっと仕事の話を。

ここ最近は完全にオフィスワーカーと化しています
。年初会議に始まり、年間計画の作成、トレーニングマテリアルの更新など。
あれ、職種って何だったけ?ついにPage Maker(Adobe InDesignの前身)まで使えるようになりました。

ただ、このままじゃどんどんひきこもりになりそうなので
、とりあえず年末に立てた計画に向けて、空き時間を使って提案書を
書いています。

まずはぼうさいDuck(子供向け防災教材)のソロモン版の作成と
スタッフ向けの講習会。それにパンフレットの作成と啓発教材づくり。
んんー、てんこもり!
でも、引きこもった分、ちょっとぐいぐいと行ってみましょう。

最後にちょっとお知らせです。
今月からJICA WORLD REPORTERというブログをはじめることになりました。
これはJICAのホームページにある協力隊員のブログです。
公開され次第、改めてURLを載せます。

そして、どうやら掲載する前にJICAのチェックが入るよう。
中国みたいですね。よって、不平や不満など勝手なことが書けません。
個人的、というかオフィシャルに公開できないような内容は
こちらで継続していこうと思います。

以上、宣伝と生存の報告でした。
プロフィール

OBA

Author:OBA
2011年6月より2年間、青年海外協力隊としてソロモン諸島で活動しています。

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